嬉野温泉・和多屋別荘・小原健史です。      (ブログ:442号)

 嘉登次は、源さんの諫言を受け入れて、翌日から和多屋別荘の
建設現場で新たな気持ちで陣頭に立った。
すでに、旅館を建てる土地の造成工事はほぼ完了し、どのような
旅館にするのか、源さんや大工の棟梁の淵と連日の打ち合わせが
続く。
嘉登次は言う、
「今度の新しか旅館は、大浴場と露天風呂が勝負どころバイ!」
源さんが聞く、
「旦那は、どがん風に考えとるとですか?」
「うん、なんと言うてもこの土地は川べりが生命線やけん、そこに
露天風呂ば作って、そのつながりで大浴場ば作ることになるじゃ
ろう!」
大工の棟梁が言う、
「大浴場は、どのくらいの広さじゃろうか?」
「ああ、百人は一遍に入れる広さタイ!」 
「ひゃ、百人?」
「ああ、百人タイ、そんくらいの大きか風呂じゃなかと、別府や他の
温泉地には勝てんとタイ!」
さらに、質問しようとする棟梁を遮るように源さんが言う、
「旦那、百人入れる風呂はよかとして、そのように大きか風呂は何で
  造るとですか? オイ達の得意な材木では、湿気や熱気で大丈夫
 やろうか?」
「そこたい、オイが若か頃、大阪や神戸の街ではすでに、コンクリ
ートの建物がいくつかできとった。 やけん(=だから)、大浴場はコン
 クリ―トで作ろうかと思うとる!」
(なるほど!)と言わんばかりに、源さんと棟梁は顔を見合わせた。
その時、三人の後ろから大きな声がした、
「コンクリートの工事なら、オイに任せんしゃい!」

振り向いた嘉登次が大きな声で応じた、
「ああ、こりゃあ、川村さん、待っとったバイ!」
「小原さん、みなさん、こんにちは!」
川村と言われた関西訛りの男は、既に工事現場用の作業着を着て脚絆
を巻き、地下足袋を履いて、いつでも働けるような格好である。
「源さん、棟梁、こん人は川村さんと言うてオイが大阪の丁稚の時代
に知り会うた人での、嬉野出身の人タイ! 今回の和多屋別荘の工
事の応援に来てもろうた! 特にコンクリートの達人タイ!」
大工の棟梁が一瞬、嫌な顔をしたが、嘉登次は無視した。
「早速、川村さんも聞いてくれ、もう一度言うが、和多屋別荘の大浴
場は、よその温泉地に負けない位の大きかものにしたかけん、コン
クリートで造り、旅館はやっぱり木造の二階建てでいきたか!
そして、嬉野川と庭園がもう一つの勝負どころと思うとる。」
そう言う嘉登次の言葉に、大工の棟梁の淵が、事前に何の相談もなく
表れた川村に反発したのであろう、少し反抗的に言う、
「嬉野川と庭園が勝負どころ、って言うても、大事かとは客室の中身
  じゃなかかな!」
「なんて! オイ、淵、いま何て言うたか?」
「いや、旦那が急に、コンクリートとか、庭や川が大事て言うけん、
 大工はいらんとかなと思うて・・・」
嘉登次の瞬間湯沸かし器に火がついた、源さんが止めようとしたが
もう遅い、
「こりゃあ、淵! 貴様、棟梁面して、何ば言いよっか! オイは、
  この嬉野温泉ば日本一の温泉地にしたかと思うて一生懸命考えて、
  少しでも良か旅館ば造ろうと思うて言いよるとぞ! 不満のあるな
  ら大工は幾らでもおる、やめろ! 帰れ!」
「なんて? 大工は幾らもおるてや、それなら、オイはいらんタイな!
 ようわかった、オイ、お前達引き上げるぞ!」
棟梁の淵は、自分の弟子達の三名に声をかけて、すぐに大工道具を
道具箱に入れて肩に担ぎ、工事現場を出ようとした。
すかさず、源さんが言う、
「棟梁も、旦那もいい加減にせんか! お互いに喧嘩しよる場合じゃ
  なかろうが、嬉野温泉ば日本一の温泉にするには誰も反対じゃなか!
  今まで、旦那も一生懸命頑張って来た、そして、淵棟梁の腕は天下
  一品バイ! オイ達の目的は一緒じゃろうが・・・、旦那も旦那タイ、
この前のオイの話ば、いっちょん(=全然)、わかっとらんが、たいが
いにせんね!」
工事現場から外に出て行こうとした淵棟梁の足が、一瞬止まった。
流石に大人げないと思ったのであろう、しかし、嘉登次は真っ赤に
なって怒っている。
少し変わった性格の淵棟梁は言った、
「旦那さん、気の変ったバイ、また今から雇うてくんしゃい、おってよか
ね?」
嘉登次は、内心ホッとした。 しかし、威厳をもって言った、
「ああ、わかったならば、おってよかタイ、早う仕事に取り掛からん
か!」
源さんと川村が、顔を見合わせて、ひそかに笑った。
嘉登次と淵棟梁の男と男の意地の激突であるが、今回も源さんの機転
で大事に至らなかった。・・・古き良き話である。



嬉野温泉・和多屋別荘・小原健史です。      (ブログ:441号)


昨日(3/5)から1泊2日の人間ドッグに入ってきました。
結果は、6年前の参議院選挙の超ハードワークの際に起きた高血圧以外は
オールO K!、 癌もなし、肺も、肝臓も、胃も、大腸も問題なしとのこと。
有り難い!
健康な体を与えてくれた父や母に感謝!
そして、妻や家族やに感謝!
さらに、和多屋別荘のスタッフや仲間に感謝!

<人間ドッグの病室の中の私>

DSC00110.jpg


現在、61歳、あと10年をめどに、現在手掛けている仕事・・・・・、

(1)和多屋別荘の経営の健全化==>分社化、リサイズ化
(2)嬉野温泉の観光振興と嬉野市の商工振興
(3)宮崎の青島の事業の推進や、えびの市の街づくりへの協力
   を通じて九州全体の現場からの<観光立国>を!

などなどに精一杯頑張ります!

この2日間、ずーっと仕事以外のことを考えていて、ずいぶん、
心豊かになったような気がします。

このブログをご覧の皆さま、今後とも宜しくお願い申し上げます。



嬉野温泉・和多屋別荘・小原健史です。      (ブログ:440号)

3月3日13時、千葉県館山市で「千葉県・菜の花女将の会」主催の
勉強会で講演をしました。
2日の土佐清水市旅館組合での講演に続いてのことで気合いが入ります。
ことの起こりは、全旅連本部の島村専務さん経由で千葉県旅館組合から
の講演依頼のご連絡と、時を同じくして“JKK(=全旅連女性経営者の会)
のチャーターメンバーの一人である清都みちるさんからのメールや電話での講演
要請によるものです。


実は、私にとって、よその観光地や旅館組合でお話をするよりも、地元
の嬉野温泉の観光振興策が今こそ重要、且つ必要なのですが、それは、
佐賀嬉野バリアツアーセンターの業務の推進と「全国UD大会」の準備や「湯ら
っくすコンサート」及び「ニューミックステニス大会」などのイベント、そして、商工会
の「新商品&新産業委員会」の動きに代表される不況対策などを進めて
いること、また、冨田伸明氏やゲイリーブコブニック氏の芸術とのコラボによる
街づくりと地域の子供たちの将来の活力のための社会教育活動で補いたい
と思います。
それと、これらの講演会の講演料の収入は、予算が少ない「佐賀嬉野バリア
フリーツアーセンター(=BFTC)」の活動資金に充てています。


さて、3日午前9時30分に「特急さざなみ5号」で東京駅を出発、千葉
県の館山市に11時23分に着きました。
途中、富浦と言う駅を通りましたが、懐かしい場所です。
と言うのも、私が成城大学の学生の頃、所属していた能楽研究会の合宿が、
この富浦の民宿であり、また別の年には九十九里が浜の八日市場でも合宿
したことがあります。

朝8時から夜8時まで、謡本を数十冊も積み上げて、謡いっ放しに謡い、
3時間位経つと頭の中がボーツとして充血し、大きな血液の袋の中で謡っ
ているような錯覚に陥ったことでした。 若き頃を思い出します。

<JR富浦駅の風景・・・海岸線の写真が撮れなかったのだ!

DSC00087.jpg

館山駅には、全旅連青年部の元副部長の伊丹氏が迎えに来てくれて会場の
館山シーサイドホテルまで送って頂きました。
業界の仲間のサポートは有り難いものです。
伊丹さん、有難うございました。

千葉県の旅館組合の皆様には、全旅連青年部長、全旅連会長、そして
6年前の参議院選挙の際には、殊のほかご支援ご協力を賜りました。
特に、選挙の時の青年部や女性経営者の方々を主体とした熱烈なる応援
サポーターの姿は、いまだに目に焼き付いています。
本当に有難うございました!

講演会に先立ち、役員会の席で「菜の花女将の会」の鈴木まり子会長さん
からご丁重なご紹介を賜り、また千葉県旅館組合の平野理事長さんからも、
過分なご挨拶を頂きました。

<菜の花女将の会:平野理事長のご挨拶>

DSC00090.jpg


午後1時から3時まで、約2時間例によって旅館の経営改善や金融対策、
街づくりなどについて、荒っぽい九州弁でまくし立てたので、女性の方
々には、分かりずらかったのかもしれません。
会場には、全旅連青年部のOBの仲間の皆さんや前述の選挙の際に
大いなるエールを頂いた皆さんも多くおられて、感謝の気持ちを込めて
精一杯の御礼の講演となりました。

講演の概略は、下記のとおりです。

=============================

<千葉県・菜の花女将の会の講演風景>

DSC00092.jpg


* 「厳しい経営環境に負けない旅館経営と女性経営者」


(1)“厳しい経営環境”に負けない細やかな対策の実例
 
 <イ> 「不況」とか「厳しい!」等と言わない!
   *人間は<心と頭>が体を動かす!・・口に出したら終わり!

 <ロ> 売上増強の実例 
*“アップセールス”の勧め
   *予約受けのプロの技
   *自分の旅館のブランドを商品化して販売を!
   *地域ぐるみの新しい商品開発
     ・嬉野市商工会の新しいチャレンジ「不況に負けない
         =<新産業>や<新商品づくり>を!」
     ・全く新しい産業の創業を! 千年の歴史も一年目から!

 <ハ> コストダウンの実例・・・全ての経費を変動費に!
     *毎日のパート従業員の雇用の決定権は?
     *一人三役は当たり前!
     *作業動線のチェック&チェック

DSC00095.jpg

(2)厳しい時代に打ち克つ“強い精神力”を!
  <イ> 私の「七転び八起きの人生」
     *和多屋タワー建設時の混乱
     ・投資計画の甘さから資金繰り困難へ強度の心身症へ
       ・「喜怒哀楽よりもワンアクション」の気づき

  <ロ>「肥前夢街道」の破綻時のエピソード
    *バブル経済時の過大投資
    *高慢と慢心
    *破綻の原因=過大な投資:債務と、顧客満足度の不足
    *RCCからORIXへ
    *「立場が人を造り、立場が人を腐らせる」ことを経験
  
  <ハ> 常に自己の原点の認識を!
    *「嬉野温泉の発展」と「全国の旅館業や観光地・
       温泉地の振興」

  <ニ> 宮崎市青島の「旧橘ホテル=幽霊屋敷」への挑戦!
    *「人間は、太陽を西から昇らせることはできないが、
      人間が決めたことや、なしたことは必ず、やり直し
       (=再生)できる!」
    *350室の閉鎖したホテルを解体し、その後に、24戸の
       戸建てのホテルとレストランやショップの建設
    *新幹線鹿児島ルート全通前の開業を!

DSC00096.jpg

(3)旅館ホテルの経営の現状
  <イ> 旅館ホテルの経営悪化の原因
    *過大な投資と過剰な債務
      ・不動産価格(地価)の下落で金融担保力不足へ
    *顧客ニーズの変化への対応力不足
・「団体旅行」から「個人・グループ」旅行へ
       ・「男性主体の旅行」から「女性主導の旅行」へ
       ・「物見遊山、歓楽型の旅行」から「体験交流・
        寛ぎ・癒し」へ

講演後、千葉県旅館組合の平野理事長、鈴木女将の会会長さん
はじめ会場におられた多くの方々のお見送りをうけて、JKKの
清都さんの車で、東京湾アクアラインの「海ほたる」を通って
なんと羽田空港までお送り頂きました。
清都さん、この度は、大変お世話になりました。
有難うございました!

<東京湾アクアラインの出口の風景>

DSC00105.jpg




嬉野温泉・和多屋別荘・小原健史です。      (ブログ:439号)


早いもので、弥生3月に入りました。
3月2日10時より、高知県土佐清水市で<雇用創出セミナー>と
して、足摺岬の旅館組合の皆さんに「厳しい経営環境に負けない
旅館経営」を主題に講演をしました。
前日の1日に、福岡空港から龍馬高知空港へ、そして、JR高知駅
から日本一美しいことで有名な四万十川沿いの中村駅で下車し、
そこに出迎えに来て頂いていた土佐清水市地域雇用創造協議会の
西宮事務局長さんの車で土佐清水市の足摺岬へ向かいました。

残念ながら、嬉野温泉を出て足摺岬に着くまで、ずっと雨に会いま
したが、特に、楽しみにしていた“四万十川”の美しさは堪能でき
ず、足摺岬のスカイラインでは、濃霧で視界がゼロに近く、西宮局
長さんの曲芸のような運転により、予定通り午後6時30分に
「足摺国際ホテル」到着しました。

<足摺国際ホテルからの太平洋の風景>

DSC00014.jpg

土佐清水は、黒潮が打ち寄せる足摺岬や、“清水サバ”の陸揚げ港
の土佐清水港、幕末の時代に漁の最中に遭難し、その後、渡米して
帰国後通詞として活躍した“ジョン万次郎“の出身地などで有名です。
ホテルには、杉村市長さん、山本観光協会長さん、武政旅館組合長
さん、福島温泉組合長さん、そして、国際ホテルの田村会長さん方
の歓迎を受け、すぐに懇親会が開催されました。


<足摺岬の大自然>

DSC00035.jpg

<天狗の鼻=猪の岬>

DSC00036.jpg

翌朝7時30分から、田村会長さんの案内で、足摺岬を約1時間に
わたり歩いて見学しましたが、「天狗の鼻」の岬に出るまで続く
<椿の花>の美しさには、思わず見とれてしまいました。
椿は枝に咲いている姿も美しいのですが、落花して遊歩道の上に
何個も転がって、まるで椿の絨毯の上を歩くような感じは極めて
印象的でした。

<足摺岬の椿の花と、落下の絨毯>

DSC00024.jpg

DSC00023.jpg


また、「岬の七不思議」と言う、弘法大師が開山された金剛福寺の
寺領の岬全体のあらゆる所に様々な言われがあり、岬の灯台や四国
最南端の270度のパノラマは、正に思わず「絶景かな!」と言いた
くなりそうです。
また、この土佐清水の出身で、沖で漁の最中に遭難し、渡米して、後
に帰国後、明治維新のきっかけを作った重要な人物の一人で坂本龍馬
にも間接的に影響を与えたと言われる“ジョン万次郎”の詳細な説明
に、思わず聞き言ってしまいました。

<ジョン万次郎の銅像>

DSC00051.jpg

<金剛福寺とお遍路さん>

DSC00049.jpg

DSC00050.jpg

現在、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が放送されている時期でもあり
高知県全体の観光客の入り込みは上向いているとのことですが、
足摺岬の旅館組合の皆さんにも頑張って頂きたいと思います。


午前10時から、国際ホテルで講演会が開催されました。
参加者は、足摺岬の旅館ホテル経営者は殆どが参加されたようですが、

私から
(1) 自己紹介
(2) 全旅連会長の活動と参議院選挙についての御礼
(3) 肥前夢街道の破綻と和多屋別荘の事業再生
(4) 旅館ホテルの経営改善と金融問題
(5) 嬉野温泉の現状と方向性
(6) バリアフリーツアーセンターの開設の勧め
などについてお話を致しました。

<講演会の風景>

DSC00083.jpg

DSC00081.jpg

皆さんも私も初対面が多く、緊張気味でしたが、講演の最後のところ
で、バリアフリーツアーセンター(=BFTC)の設立の提案=<足摺岬の大自然の
パノラマと椿の絨毯を車椅子の人々にもお見せしよう!>との言葉には
多くの方が賛同されたようで、近いうちに嬉野温泉の研修旅行の計画
を進められるようになりそうです。
講演終了後、すぐに西宮事務局長の運転で、四万十市の中村駅まで
送って頂き、早速、その車の中から伊勢志摩BFTC中村元理事長に、
足摺岬のBFTCの設立について協力をお願いし快諾を得ました。
今後の、足摺岬および土佐清水市の皆さんの活躍が楽しみです。

DSC00040.jpg



嬉野温泉・和多屋別荘・小原健史です。      (ブログ:438号)


小原嘉登次の人生最大の仕事である「和多屋別荘」の建設も順調
に進んでいた。
しかし、得意絶頂の嘉登次は、人間的には少しづつ変質していく、
そのことを最も心配するのは、番頭であり、年上の源さんである。

明治生まれの一人の男が、昭和の時代を根性と努力で駆け抜ける。
「努力とは何か?」、「根性とは何か?」・・・・・現代の若者に捧げる
物語である。

=============================


嘉登次は、仕事上の最大の相方である源さんの強い言葉にたじ
ろいだ。
「源さん、何ば、そがん怒っとるとね?」
「こいが、言わんでおらるっか! 旦那さん、オイが言いたかこと
  ばわからんとね?」
「わからんな!」
「なんて、そしたら言わせて貰うばってん、例えば今日の製材所で
 増本が旦那さんに言うた言葉に、あんたは、何て言うたね?」
源さんの勢いに押されて、嘉登次は半身をひくような格好だ、
「オイが、源さんばそがん怒らせるごたることば言うたかな?」
「あんたはな! 一生懸命働きながら質問する増本に、“オイば誰
と思うとるか?”とか“オイの苦労はお前達には分からんじゃ
ろう!”とまで言うたとぞ!」
「そがん、気はなかが・・・」
「いや、今日ばかりじゃなか・・・・、旦那さん! 嘉登次さん!
 あんたの仕事のやり方や事業家としての力は誰でん認めとるよ、
  オイも凄かと思うとる、しかしなあ、最近のあんたは・・・、
  なんちゅうか、昔のごと皆の気持ちのようっとわかる男じゃなか
ごとなった、自分がいちばん偉か、オイより仕事のできるもんは
他におらんじゃろうって言わんばかりの顔 ばしとる・・・」

嘉登次は自分のことをズバリついてくる源さんに只ならぬものを
感じながらも、生来の負けん気がつい口に出る、
「何てや、オイはそがん(=そんな)つもりは一切なかぞ!」
「あんたは、なくても周りの者が感じ取ると言いよるとタイ!」
部屋の外では、夕食と酒の準備が整って、女中が中に入ろうとする
が、大きな声で言い合っているので、入るに入れない・・・、
恐る恐る小声で聞いた、
「あのう、旦那さん、食事の準備ができました。」
部屋の中の男二人には全く聞こえないようだ。
もう一度、少し大きな声で
「旦那さん、料理ができました!」
「やかましか、そこに置いとけ!」
と嘉登次の怒声が聞こえた。
「源さん、あんたはオイが一番頼りにしとる番頭バイ! そいが
  なして、そがんオイの悪口ば言いよるとか?」
「悪口じゃなか、旦那さんの最近の態度は良うなか! 従業員も
  みんなそう思うとる! 今の女中さんへの言葉も荒かな!」
「そいぎ、どがんすっぎ良かとか?(=じゃあ、どうすれば良いの
か?)」
「あんまり、焦らんで、周りの人にも見配り気配りばせんばとじゃ
  なかね?」
源さんの声は次第に穏やかになってきて、年上の兄が諭すような
言い方に変わってきた。
「あのな、嘉登次さん、オイはあんたのお袋さんの小原商店で、
  あんたのお袋さんの働き方ば、ようっと見て来た。
  あんたは、お袋さんの血ば引いて商売人としてはピカ一タイ!
 しかし、なんちゅうか、人情味の足らんなと思うことの、よう
  あるとよ。」
「人情味?」
嘉登次は、怪訝な顔つきで聞いた。
源さんは、女中が部屋の外に置いた料理の膳を運びながら言葉を
つなぐ、
「ああ、あんたのお袋さんは、商売人の建前である儲かることへ
  の執念はもの凄かった、しかし、のう、本音のところでは情に
  厚かったのう!」
母親の話になると嘉登次は黙りこくってしまった。
嘉登次が最も弱い話題、それが母親のことである。
「お袋の話は、言わんでもよか!」
「いや、今日は言わせてもらうバイ・・・、あのな、あんたの
  お袋さんは、商いにきた商売人と仕入値段の交渉は丁々発止、
  嘉登次さんもよく言うとる“ 知らずば半値 ”の精神で男顔
  負けの勝負ばしよらした。
  その駆け引きの中で、相手の人柄ば見ながら、気持ちよく交渉
  に応じた者と、薄汚い交渉した者ば見分けよらした。」
「見分けよったてね?」
既に、嘉登次と源さんは、酒を酌み交わしながらの話になってい
て、嘉登次は源さんに酌をしながら、素直に聞き言っていた。
「ああ、薄汚か駆け引きばした者には、その上を行くように冷た
く応じて値ば決めて、爽やかな交渉相手には、気持ちよく応じ
ておんさった。 そいで、・・・」
源さんは、自分自身にも言い聞かせるように盃の酒を飲み干しな
がら、
「そいで、商売の駆け引きの済んだら、誰にでも気持ちよく応対
し、それなりのお土産まで持たせよんしゃった!」
嘉登次は、酒は飲まないが、源さんの盃を見ながら酌を続けて
「土産ばね?」
「ああ、心の土産タイ!」
「心の土産?」
「そいが何か?ば、今の嘉登次さんが考えんばいかんとタイ!
 その気持ちの大きさと懐の深さに、皆、誰でん、お袋さんの人柄
に魅かれておったとよ。」
そんな話が夜遅くまで続き、嘉登次は源さんに、母親の商売人と
しての姿と精神を学んでいく。



1234567891011
佐賀県 嬉野温泉 美肌の宿 和多屋別荘

アクセスカウンター

アクセスカウンター since:2008/03/18

Twitter

カレンダー

3 2010
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

アーカイブ